ヒーリングセッション(初回半額)

簡単に学ぶキリスト教!新約聖書~聖母マリア・洗礼・最後の晩餐・裏切りのユダ・イエスの復活~

ぴかはりー
ぴかはりー

ぴかはりーにも諸説あります??

旧約聖書と新約聖書のかんたんな違いとは!?

【 旧約聖書 】
内容:イスラエルの民(ユダヤ人の歴史)
神の預言者:モーセ
救われる人:律法を厳しく守る人

【 新約聖書 】
内容:イエスの生涯や教え
神の預言者:イエス・キリスト
救われる人:神を信じる全ての人

注意※以下、諸説あります

私の多大なる日本語の表現力不足により、文章が全体的に堅苦しくなってしまった結果を受けて、少し

ポップでファニー

にデフォルメして、書いてみました。

※キチンと勉強していらっしゃる人には、お聞き苦しい点が多々あると思いますが、ぜひ積極的なご理解ご了承をよろしくお願いいたします。

この記事はこんな人におすすめ
  • キリスト教に興味が湧きそうな人
  • キリスト教を浅くかんたんに学びたい人
  • 新約聖書の物語を浅く知りたい人

長過ぎる記事になってしまったため、ぜひ
究極に浅く軽く学びたい!人は、各ものがたりの「まとめ」だけでも読んでいってください

主要人物の短いなまえの呼び方が同じでも別人がけっこういました!!!

洗礼者ヨハネ と イエスの弟子(12使徒)ヨハネ(ヨハネの黙示録やヨハネの福音書を書いた)

イエスを産んだ聖母マリア純潔の象徴)と マグダラのマリア(罪の象徴

両者イエスの弟子(12使徒)で、 有名なイスカリオテ(裏切り者のユダユダ・タダイ(裏切り者と同名なため、避けられがちで、忘れられた聖人ともいわれる)

イエス・キリストのものがたり

イエス・キリストとは、どっちが苗字でどっちが名前なの?と思う人もいるかもしれません。

「イエス」は固有名詞であり、「キリスト」とは称号なのです。

当時ユダヤの人は、ほとんど苗字を持っておらず、職業や親の名前、出身地などを苗字のように使って区別していました。

イエスも最初はナザレに住んでいたので「ナザレのイエス」と呼ばれていました。

後にイエスはキリストという称号をつけて呼ばれるようになります。

イエス・キリスト

姿の特徴:真ん中でわけた髪、ひげ、手のひらとわき腹の傷(復活後)

アトリビュート:ひつじ、ろばに乗っている、いばらの冠、「INRI」と書かれた十字架

イエスの磔刑(たっけい)において、十字架の上に掲げられた罪状書きの「INRI」は

ラテン語で、IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM の頭文字を表記したもので、

日本語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳されます。

ここでいう「ユダヤ人の王」とは、 “ ローマ帝国に対する反逆者 ” という屈辱的な意味です。

受胎告知

イスラエルの王となったダビデの末裔にナザレ村のヨセフという大工がいました。

ヨセフにはマリアという結婚を約束した女性がいたのですが・・・

御使(天使)ガブリエルが神からつかわされて、ナザレというガリヤラのまちの一処女のもとにきました。

「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」

この言葉にマリアはひどくとまどって、このあいさつはなんのことであろうか?と、思いめぐらせていました。

すると、御使(天使)が

「恐れるな、マリアよ、あなたは神から恵をいただいているのです。」
「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。」
「その子をイエスと名付けなさい。」

マリアは突然の告知に驚いて、

「自分はまだ結婚もしていないのにそんなことあり得ない…」

と言いましたが、御使(天使)は、

「聖霊の力でそうなります!」
「あなたの親戚のエリザベツは老人だけど、聖霊の力で同様に子を宿しているでしょう?」
「神にとって不可能なことはありません」

マリアは、

「!」
「わかりました、主のお言葉通りになりますように」

と受入れました。

ちなみにお話にでてきたエリザベツは、マリアのところに御使(天使)ガブリエルが訪れた少し前に時間をさかのぼり

ザカリヤという司祭が、神殿でお香をたいていたところ・・・

同じように御使(天使)ガブリエルが現れて、ザカリヤとその妻エリザベツに

「男の子が生まれるから、ヨハネと名付けなさい」

と告げました。

2人は高齢だったので、ザカリヤは本当にそんなことが起きるのだろうか?と思っていましたが、

その通り男の子が生まれ、ヨハネと名付けられました。

成長したヨハネは、家を出て、ひとり荒野へ向かったのでした。

ヨハネの生まれた6ヶ月後にイエスが生まれる。

受胎告知 まとめ

マリアは、御使ガブリエルから、男の子を身ごもるので、イエスと名付けるよう告げられた。未婚のマリアは戸惑うが、受け入れる。

イエスの降誕

マリアが身ごもってしばらくした頃

ローマ皇帝が、自分の国に民は何人住んでいるのか調べさせました。

マリアと夫ヨセフも国民であることを登録するため、ナザレからヨセフの出身地のベツレヘムという街に来ました。

しかし、そこでマリアが産気づいてしまいました!
宿の中には場所がなかったので、家畜小屋で男の子を産みました。
そして、その子を布にくるんで飼養おけに寝かせました。

この地方ではひつじ飼いたちが夜、野宿しながらひつじの群れの番をしていました。

すると、主の御使(天使)が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照らしました。

御使(天使)は、ひつじ飼いたち

「恐れることはない。わたしはみなさんのために素晴らしい喜びを伝えにきた。」
「きょうダビデの町にあなたがたのために救主がお生まれになった。」
「そのかたこそ主なるキリストである。」

「あなたがたには、幼子が布にくるまれて、飼養おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。」
「それが、あなたがたに与えられるしるしである。」

「いと高きところでは、神に栄光があるように」
「地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」

それを聞いたひつじ飼いたちは、
「ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」

と言い、急いで行って、マリアとヨセフ、また飼養おけに寝かしてある幼子を捜しあてました。

そして、ひつじ飼いたちは、この出来事を人々に話してまわりました。

では、なぜひつじ飼いなのでしょうか?

この頃のひつじ飼いは、社会の中で低い身分でした。
ひつじ飼いたちは、自分の仕事に誇りをもっていましたが、貧しく税金を払えずにいました。

当時の税金は
・ユダヤ教の10分の1税
・神殿税
・ローマ帝国の税
・関税
・通行税
など

「宗教税を支払わないなんて、罪人だ!」
と言わんばかりに権力者や街に住む人々からは見下されていました。

そんな彼らのところに御使(天使)が真っ先にキリストの誕生を知らせにきた・・・ということは、

【 神の救いは、貧しい者たちに与えられる。身分や財力がかえって救いの妨げになる 】

という意味が込められていたのかもしれません。

イエスの降誕 まとめ

マリアは、神の言葉通り、ベツレヘムの家畜小屋でイエスを産む。そこへ、救い主が生まれたと聞いたひつじ飼いたちが、礼拝に訪れる。

東方三博士の礼拝 X’masの由来

イエスがヘロデ王(ヘロデ大王)の代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言いました。

「ユダヤ人の王として、お生まれになったかたは、どこにおられますか?」
「わたしたちは、東の方でその星を見たので、その方を拝みにきました。」

ヘロデ王はこのことを聞いて、不安を感じました。
エルサレムの人々もみな同様でした。

そこでヘロデ王は、司祭長たち(エルサレムの最高位の聖職者たち)と民の律法学者たち(モーセの教えを研究し、人々に伝える教師)とを全部集めて、

「キリストはどこに生まれるのか?」

と彼らに問いただした。すると、彼らはヘロデ王に

「それはユダヤのベツレヘムです。」
「予言者はこう記しています。」

「ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者(民を導くひつじ飼い)となるであろう。」

そこで、ヘロデ王たちは秘かに博士たちを呼んで、星の現れたときについて詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言いました。

「行って、その幼子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせて。わたしも拝みに行くから。」

彼らが王の言う事を聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼子のいるところまで行き、その上にとどまった。

そして、家に入って、母マリアのそばにいる幼子に会い、ひれ伏して拝み、

また、宝の箱を開けて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。

黄金 = 王権  乳香 = 神性  没薬 = 死(受難) と、3つの贈り物は、それぞれイエスの運命を象徴していると言われています。

当時ユダヤ王国を統治していたヘロデ王(ヘロデ大王)は、新たな「王」として生まれてきたイエスに脅威を感じ、イエスの殺害を謀ります。

しかし、マリアとヨセフは主の使いにエジプトへ逃げるように知らされたので、ヘロデ王(ヘロデ大王)が死ぬまでその地にいました。

ヘロデ王が亡くなると、御使(天使)がイスラエルに帰るように知らせたので、マリアとヨセフはイエスを連れてイスラエルに向かい、ナザレという町に住み始めました。

ひつじ飼いたちや三博士の贈り物は、世界ではじめてのクリスマスプレゼントです。

クリスマスとは、イエス・キリストの ×誕生日 ではなく、 ○降誕を祝う日 です。

そして、クリスマスは、「キリストのミサ」という意味で、

ツリーのてっぺんの星は「ベツレヘムの星」を表しており、正しくは「八芒星です。

東方三博士の礼拝 まとめ

不思議な星を見た3人の博士が、東からエルサレムにやってくる。博士たちは、星を追ってイエスに礼拝し、贈り物を捧げる。

イエスの洗礼

イエスより少し早く生まれて、荒野に出たヨハネ。そんなヨハネは人々に

「悔い改めよ、天国は近づいた。」

と言い彼らに自分の行いを反省させ、罪を告白した人にヨルダン川で洗礼を授けた。

洗礼(バプテスマ)とは!?

キリスト教入信の儀式であり、バプステマという言葉の元の意味は「水に浸す」です。

教会で聖職者の言葉によって水で身を洗ってもらい、罪から清められ、キリストと一致する儀式です。

洗礼を受けることで、背負った原罪が許され、新しい命が与えられる。

☆「神道」の物語においても海で穢れを祓う禊をしていたのは、天照大御神の父、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)でした。

ヨハネは、らくだの毛皮を革紐で結んだだけの格好で、イナゴや養蜂など、野で採れるものだけ食べて暮らしていました。

人々は、そんなヨハネと接して、もしかしたら、この方が自分たちを救ってくれる救世主(メシア)
「キリスト」なのでは・・・?と思った。

しかし、ヨハネは


「わたしは悔改めのために水でおまえたちにバプテスマを授けている」
「しかし、わたしのあとから来る人は、わたしよりも力のあるかたで、わたしはその靴を脱がせてあげる値うちもない」
「このかたは、聖霊と火によって、おまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。」【ルカ3章11節】

と、自分が救世主であることを否定し、真のキリストの到来を予言しました。
※「靴を脱がせる」とは、奴隷が主人のためにする仕事でした。彼に比べたら、自分にはその値うちすらないという意味です。

そのときイエスは、生まれ故郷のガリヤラを出て、ヨルダン川に現れ

ヨハネのところに来て、バプテスマを受けようとされた。

ヨハネは
「わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに」
「あなたがわたしのところにおいでになるのですか」

すると、イエスは

「今は受けさせてもらいたい」
「このようにすべて正しいことを成就するのは、われわれに相応しいことである。」

そこでヨハネは、イエスの言われるとおりにした。

イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。

すると、見よ、

天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのをご覧になった。

また、天から声があって言った、
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。」

目覚めたイエスは荒野に出る。

一方、ヨハネには、過酷な運命が待ち受けていた・・・

イエスの洗礼 まとめ

イエスは、洗礼者ヨハネのもとを訪れ、洗礼(バプステマ)を受ける。神の声を聴いたイエスは、主なる神の教えを広める活動をはじめる。

ヨハネの処刑

「三博士の礼拝」の三博士がエルサレムで会ったヘロデ大王の息子で ヘロデ・アンティパス という王がガリヤラにいました。

このヘロデは、自分の兄の妻ヘロデヤに惚れ込み、自分の妻と離婚し、ヘロデヤを奪い再婚してしまいます。

当時のユダヤの法律では
・理由なく離婚する(十戒の「姦淫をしてはいけない」に抵触)
・義理の姉妹と結婚する(十戒の「隣人の妻を欲してはならない」に抵触)

このどちらも法律で禁止されていました。

イスラエルの民にとって法律というのは、神との契約であり、ヘロデの行いは神を裏切ることでした。

このことを知ったヨハネはヘロデに

「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」

と言ったことで、捕らわれ、牢に入れられてしまいました。

再婚した妻のヘロデヤは、ヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいました。

それはヘロデが、ヨハネは正しくて、聖なる人であることを知って、

彼を恐れ、彼に保護を加え、

また、その教えを聞いて、非常に悩みながらもなお喜んで聞いていたからです。

ところが、妻のヘロデヤにとってよい機会が訪れました。

ヘロデは、自分の誕生日の祝いの日に高官や将校やガリヤラの重立った人たちを招いて宴会をもよおしていました。

そこへヘロデヤの娘サロメがはいってきて、舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせました。

そこでヘロデはこの娘サロメに

「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」
「ほしければ、この国の半分でもあげよう」

誓って言った

そこで、ヘロデヤの娘サロメは、小声でヘロデヤに

「なにをお願いしましょうか?」

と聞くと、ヘロデヤは、

「バプテスマのヨハネの首を」

と娘サロメに言うと、娘サロメは公の場でヘロデに

「バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」

これを受けてヘロデは、非常に困ったが、いったん誓ったのと、列座の人たちの手前、

娘サロメの願いを退けることを好まなかったのです。

そこでヘロデは、衛兵をつかわし、ヨハネの首を持ってくるよう命じました。

衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を斬り、盆にのせて持ってきて娘サロメに与え、それを母ヘロデヤにわたしました。

神の教えを曲げず、権力者相手でも間違いは間違いだとはっきりと言い、結果、残酷な殺され方をする・・・

ヨハネのこの運命は、イエスの先を行くもの「先駆者」と言われます。

つまり、イエスはこの後、ヨハネと同じ、過酷な運命をたどることになるのです。

ヨハネの処刑 まとめ

ガリヤラの王ヘロデの妻、ヘロデヤは、娘サロメの舞いに対する褒美として、ヨハネの首を求める。ヨハネは処刑されてしまう。

イエスの洗礼後の歩みと奇跡

ヨハネに洗礼を受けたイエスは、荒野へ修行に出ました。

40日の断食をし、悪魔の誘惑に打ち勝つのでした。

修行を終えたイエスは、街に戻ってきたが、そこでヨハネが捕らえられているいることを知るのです。

イエスは、ヨハネと同じように

「悔い改めよ、天国は近づいた」

と言い、人々に神の教えを広めはじめました。

イエスはまず使徒と呼ばれる12人の弟子を選んで、寝食をともにしながら彼らを教えて育てました。

山上の垂訓(説教)」とよばれる説教は最も有名で多くの大切なことを伝えています。

「自分の敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」「右の頬を打つものには左の頬も向けなさい」

などのことばや「主の祈り」とよばれる祈りについての教えなど、当時の人たちも今まで聞いたことのないような教えに次第に心動かされるようになります。

それまでユダヤ教の律法を守ることを大切としてきた人々が、

「~しなければならない」という律法的な教えではなく、

神を信じてその恵みを受け取ることができる

という恵みの宣言を知ったのです。

だからこそイエスは、自分を誇れずにただ神にすがる以外できなかった取税人や病人、遊女らと積極的に関わり、

神と隣人を愛することの大切さを教えました。

イエスは、12使徒を連れて各地をめぐり、神の国の福音を説き伝えながらまわった。
※福音(ふくいん)とは、ギリシア語 = エウアンゲリオン(良い知らせの意)

神への祈り方を教え

人々の悩みを解決し

病気や不自由な体を癒した。

イエスの奇蹟は、新約聖書の中心となっている4つの福音書

使徒の「マタイによる福音書」、「マルコによる福音書」、「ルカによる福音書」、使徒の「ヨハネによる福音書」に記されているイエス・キリストが行った奇蹟のことである。

最初の奇跡

イエスと弟子たちも招かれたガリラヤのカナでの婚礼でイエスは六つの水がめに入った水をぶどう酒に変える(カナの婚礼)。 【ヨハネ 2:1】

自然に対する奇跡

舟に乗ったイエスが「静まれ」と命じて嵐を静める。 【マタイ 8:23、マルコ 4:35、ルカ 8:22】

五つのパンと二匹の魚を増やし五千人の人々に食べさせる(パンと魚の奇跡の教会)。 【マタイ 14:13、マルコ 6:30、ルカ 9:10、ヨハネ 6:1】

イエスが湖の上を歩く。 【マタイ 14:22、マルコ 6:45、ヨハネ 6:15】

病気・悪霊つきを癒やす

ペトロの家で彼の義理の母の病気と大勢の病気を癒やし、多くの悪霊を追い出す。 【マタイ 8:14、マルコ 1:29、ルカ 4:38】

十二年間出血が止まらず苦しんでいた女が、後ろからイエスに近づきイエスの服の房に触れた途端、出血が癒える。イエスは振り返り、「あなたの信仰があなたを救った」と女をいたわる。 【マタイ 9:18、マルコ 5:25、ルカ 8:40】

エリコの近くの盲人バルティマイは、ナザレのイエスが道を通ると聞いて、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは彼を呼び、彼の目を見えるようにする。 【マタイ 20:29、マルコ 10:46、ルカ 18:35】

人の罪を赦す

ファリサイ派のシモンの家でイエスの足に香油を塗る罪深い女に「あなたの罪は赦された」と告げる。 【ルカ 7:36】

死者を生き返らせる

イエスはナイン(英語版)という町の門に近づくと、ある未亡人の一人息子が死んで棺が担ぎ出されるのを見る。イエスはこの母親を見て憐れに思い、「もう泣かなくてもよい」と告げ、棺に手を触れ、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言うと死人が起き上がってものを言い始める。 【ルカ 7:11】

※上記に表示してあるものは、あくまでもキリストの奇跡のほんの一部でしかありません

イエスは、これらの奇蹟を行うことで、自然、病、罪、悪霊、死に対して支配する権威をもっていることを公に示し、自らがメシアであることを立証するために行った。

最後の晩餐

※おそらく、みなさんご注目の裏切りのユダは、中央のイエスの右手側2番目のテーブルに右肘をついて、銀貨の入った袋を手にしています。

イエスの一行は過越祭に合わせて、神殿のあるエルサレムに来ました。

過越祭(すぎこしさい)とは?
旧約聖書でエジプトで虐げられていたイスラエルの民が、モーセに率いられ、カナンの地に脱出しました。
そのことを記念したユダヤのお祭りで、この日が近づくと、ユダヤ教徒はエルサレムの神殿にお参りに行くのです。

イエスは、神聖な神殿の敷地で商売をしている人を見ると激怒して、無理矢理追い払ってしまった。

商人がいなくなると、体の悪い人たちがやってきたので、

イエスは彼らの悪いところを癒してあげていたが・・・

祭司長たちや民の長老たちからは、

「何の権威によって、これらの事をするのですか。」
「だれが、そうする権威を授けたのですか。」

イエスが人々に称賛されていることや神殿で教えていることに腹を立てました。

そんな空気の中、イエス一行は過越祭の前日を迎える。

時に12使徒のひとり、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、

「彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか」

すると、彼らは銀貨30枚を彼に支払った。

その時から、ユダはイエスを引き渡そうと、機会をねらっていました。

そして、過越祭の日になったので、使徒たちが過越祭の準備をしました。

時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

イエスは、

「わたしは苦しみを受ける前にあなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた」
「あなたがたに言っておくが、神の国で過越が成就する時までは、」
(十字架の犠牲、つまりイエスの犠牲によって人類の罪が償われる)
「わたしは2度と、この過越の食事をすることはない」

ぶどう酒(ぶどうジュース)を手に持ち、続けて

「これを取って、互いに分けて飲め。」
「あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、」
(「イエスが復活するまで」と「新たな天と地の完成まで」の2つの意味)
「わたしはぶどうの実から造ったものを一切飲まない」

マッツァという発酵させないパン(見た目はナンに近い)を手に取ると

これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。」
「わたしを記念するため、このように行いなさい」

と取り分け、与えました。

食事の後、杯も同じようにして言われた。

「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である
「よくよくあなたがたに言っておく。」
「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」

・・・この通り、イエスはもう自分の運命を覚悟している。だからユダの裏切りを止めようとはせず

「しようとしていることを今すぐするがよい」

と、祭司長のところへ行かせてしまうのでした。

食事が終わると、イエスはゲッセマネという場所に行き、そこで最後の祈りを捧げました。

祈りの内容はあまりにも悲痛でした。

イエスは、これから受ける苦難がおそろしくて、神に助けを求めます。

「どうか、このをわたしから過ぎ去らせてください」
※杯とは、苦しみの象徴である十字架の苦しみ、また、人類に対する神の裁きを指す

けれど、最後には

「しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」

と、神の手にすべてをゆだねる・・・

そこに兵を連れたユダがやってきて、イエスは逮捕されてしまいます。

はじめにイエスは、ユダヤ人の宗教裁判にかけられ、

祭司長カイアファから

「あなたは神の子なのか」

と聞かれ、イエスは、

「あなたがたの言うとおりである」

と答えました。

これが、「モーセの十戒」の1

モーセの十戒
  1. わたしのほかに神があってはならない

に反する。

神を冒涜するものだ。とされて、有罪にされてしまったのです。

民衆たちも手のひらを返して

「イエスを十字架にかけろ!」

と叫んだのでした。

最後の決定権をもつローマ監督ピラトもこの流れに逆らえず、死刑の許可を出してしまいました。

イエスには

「おまえはユダヤの王なんだろ?ほら、王冠だぞ、ユダヤの王ばんざい!」

といばらの冠を頭に被せられ

自分の処刑に使われる十字架を背負い

ゴルゴダという場所まで歩き

ついに運命の時を迎える。

※ユダはこの後後悔して、イエスを売って手に入れた銀貨を返しに行くが、

「われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」

と冷たくあしらわれ、

首を吊ってしまう…

最後の晩餐 まとめ

エルサレムに入城したイエスは、弟子たちと晩餐をともにする。そこでイエスは、弟子のひとりが自分を裏切るだろうと告げる。

イエスの磔刑(たっけい)

ゴルゴタの丘(現在の聖墳墓教会)と呼ばれている場所に着くと、人々はそこでイエスを十字架につけ、

犯罪人たちもひとりは右にひとりは左に十字架につけた。

イエスは、

「父よ、彼らをおゆるしください。」
「彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」

と、言い

刑の執行の見物人からは、

「彼は他人を救った。」
「もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身を救うがよい」

イエスとともに十字架につけられた犯罪人のひとりが言った。

「あなたはキリストではないか。」
「それなら自分を救い、また我々も救ってみよ」

すると、十字架につけられた犯罪人のもうひとりが先ほどの罪人に対して

「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。」

そして、天を仰ぎ

「我々は自分のやった事の報いを受けているのだから、当然だ。」
「しかし、この方は何も悪い事をしたのではない」

「イエスよ、あなたが御国の権威を持っておいでになる時には、わたしを思い出してください」

すると、イエスは

「よく言っておくが、あなたは今日、私と一緒にパラダイス(天国)にいるであろう」

☆イエスは、十字架にかけられて、人類の罪の犠牲になる

イエスの十字架のそばには、聖母マリアと、母の姉妹と、クロバの妻マリアと、マグダラのマリアとが、たたずんでした。【ヨハネによる福音書19章25節】

イエスを尊敬し、この裁判と判決には賛成していなかったアリマタヤのヨセフが、

ローマ監督ピラトのところへ行って、イエスのからだの引き取り方を願い出て、

それ(イエスのからだ)を取りおろして亜麻布にに包み、

まだ誰も葬ったことのない、岩を掘って造った墓に納めた。

イエスと一緒にガリヤラからきた女たちは、あとについてきて、その墓を見、

またイエスのからだが納められる様子を見とどけた。

イエスの磔刑 まとめ

弟子・ユダの裏切りで捕らえられたイエスは、ゴルゴダの丘で十字架にかけられ、息を引き取った。

イエスの復活(再臨)

週の初めの日の明け方にマグダラのマリアと他の人が、お墓を見にきた。

すると、お墓の頭上天高くから、聖なる光が大きな音を立て降りた。

御使(天使)が、

「恐れることはない」
「あなたがたが、十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにはわかっているが、もうここにはおられない」
「かねて言われたとおりによみがえられたのである」
「さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい」

そこには、なにもなかった。

さらに御使(天使)は、マグダラのマリア

「女よ、なぜ泣いているのか」

マグダラのマリアは、

「だれかが、わたしの主を取り去りました。」
「そして、どこに置いたのか、わからないのです。」

「もしあなたがあのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃってください」
「わたしがそのかたを引き取ります」

すると、

「マリアよ」

と聞きなれた声に驚き、顔を上げると

イエスが立っていました。

イエスは、

「わたしにさわってはいけない」
「わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。」

「わたしの兄弟たちの所に行って
『わたしは、わたしの父、またあなたがたの父であって、
わたしの神、またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』
と彼らに伝えなさい」

それからイエスは兄弟(弟子たち)の前に姿をあらわす

イエスの両手、両足、そして脇腹には、処刑の時の傷跡がそのまま残っていた。

弟子たちはそれを見て、ほんとうに師が復活したのだと、理解することができた。

「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。」

「モーセの律法と預言書と詩篇とにわたしに書いてあることは、必ずことごとく成就する。」
「こう、しるしてある。」
「キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。」
「そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。」
「あなたがた、これらの事の証人である。」

「見よ、わたしの父が約束されたものをあなたがたに贈る。」

主イエスは、彼らに語り終わってから、天にあげられ、神の右にすわられた。

こうしてイエスは、地上での役割を終えて、天に住まう存在となった。

イエスの生涯は33年という短いものでした。

使徒たちは、さらにイエスの教えを広めるため、国々に散らばっていった。

また、イエスの生涯を記録した福音書を書いた。

イエスの復活(再臨) まとめ

イエスは復活し、弟子たちの前に姿を現す。そして、神の教えを広めるよう告げると、地上で役割を終え、昇天した。

光輪とライトワーカー

光輪(こうりん) とは、キリスト教美術の聖人画などで頭の周りに描かれる光の輪です。

もともとはキリストの神性を表すものだったのが、神聖な人々の頭部にも描かれるようになっていったのです。

また、宗教美術において、光輪を描かずに自然光で光っているように表現された作品も数多くあります。

そして、「光(輝き)」に関して、仏教の記事でも「光背(こうはい)」という異なる単語で取扱いました。

時代(時間)が違う、

宗教が違う、

国(場所)が違う、

表現者が違う、

それでもなお似通った手法が用いられていることに

もはや詳細な説明は不要でしょう。

アルネブ
アルネブ

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございます

ぴかはりー
ぴかはりー

「父(創造主)と子(キリスト)、聖霊」は三位一体です!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です