衝撃と危機感が尋常ではありません!!!
現状魂の闇夜(感覚の闇夜)の真只中で、希望の光がほど遠い深い絶望の中にいらっしゃる人に少しでも将来的な希望的観測を経験者としてお届けしたく、書きました。
「魂の闇夜」が始まると3次元的世界観で、一般的に楽しいと思われることに対して、全く楽しさ見出せなくなっていきます。
つまりかつて楽しいと思っていた(思い込んでいた)事が楽しくなく、どこを見渡しても希望も感じられなくなっているので、「魂の闇夜」真只中の人はとてつもない虚しさ・途方もない絶望感を感じるようになってしまうのです。
絶賛「魂の闇夜」真只中の人で、闇夜以前と変わらない日常を頑なに無理して継続的に送り続けることは、例えるならば足が骨折しいるのに、骨折を認識できずに(健康だと思い込んで)、歩き回っているようなものです。
これは誰もが見るに堪えない悲惨な光景ではないでしょうか?
ですので、本人は活動したいと思っていたとしても私は『休むこと』を強く推奨したいです。
- 人生が尋常ではなく、うまくいっていない感じがする人
- 「魂の闇夜」真っ只中な気がする人
- 「魂の闇夜」がどんなものか知りたい人
- ぴかはりーの体験した「魂の闇夜」に少し興味関心のある人
これから迎えられる人や既に経験された人にも楽しんでいただけたら幸いです。
また、知的好奇心で知りたい人から、振り返ってみると実は既に経験済みだった人まで誰でも大歓迎です。
- 一般的な「魂の闇夜」の時系列と詳細説明
- ぴかはりーの体験した「魂の闇夜」の時系列
- 魂の闇夜(感覚の闇夜)が、今の私にどのように活きているのか?
- 「魂の闇夜」真只中の人へ今の私ができること
「分離」セパレートと「通過儀礼」(イニシエーション)という『魂の闇夜』の説明に多用される言葉を敢えて使わずに今回はご説明させて頂きたいと思います。
魂の闇夜(感覚の闇夜)を簡潔にみてみましょう
①一般的な魂の闇夜とは!?
「魂の闇夜」のフォーマットは、どうしてもキリスト教(ヨハネ)の概念が強いような気が個人的にはします。
「魂の闇夜」に“今”入った!と明確に感じられる人はほとんどいないでしょう。
気付かないうちに(気付けるほど冷静な状態にない時に既に)入れられてしまった!というニュアンスの方が、どちらかというと正しいのかもしれません。
自らすすんで志願しても先ず意図的に入る事は難しいでしょうし、全く志願していないのにいつの間にか不意に入っていた(入れられてしまった)絶望的な感覚に陥る人もいらっしゃるでしょう。
ならば何故「魂の闇夜」に入った(入れられた)のでしょう?と問いたくなります。
その回答は実に簡単であり、『本当の事を心底知りたい!と純粋に願っている(いた)』という事です。
例えば、この3次元的世界観などで言われていることの中で嘘としか思えない。この広められている主張は全く信用できないなど。
「何故その事を知っているのかは、論理的には解らなくてもそう知っているが故に唯一無二の真実は絶対にあり、それを是が非でも知りたい。」
という心からの叫びが起こることによって、「魂の闇夜」が始まる気がします。
私たちは本質を忘れてしまったままの状態では、容易に3次元的な物質の取引などの世界観(幻想のエゴによる執着)にただひたすらに馴染み、本質とは対極となる3次元的世界観(幻想のエゴによる執着)にただひたすらに落ちていくのです。
そして、この物質という夢の世界(幻想)に当然ですが、どんどん馴染み抜け出しにくいほどにフィットしてしまいます。
徹底的にくどい!しつこい!程に自分自身のエゴと向き合わされる時間です。
先ずは何と言っても衝撃が凄まじいですよね。今までの人生の中で最高潮に壮絶でヤバい!なんて言葉すら生温く、標高の高い山頂からはるか深い崖下に手ぶらで突如突き落とされた気分ですよね。
感覚の闇夜の終了条件は、古いエゴからの脱却と言ったところでしょうか。
言うは易く行うは難し。
やっと終わった!…かと思ったら、やっとの思いでよじ登った山頂から再び反対側のはるか深い崖下に突き落とされて、違う感覚の絶望と2度目のショックたるや・・・もう完全にお手上げ状態です。
魂の闇夜の終了条件は、本来あるべき自分自身に一時的にでも成る(純粋な自分自身に戻る)ことでしょうか。解っていると思いますが、どんなに狡猾に装っても無駄です。残念ながら全て筒抜け状態なので、偽装・偽証はまかり通りません。
言うは易く行うは難し。パート2
「魂の闇夜」による軌道修正(強引な矯正)は、間違ったエゴには敏感に“抵抗”として感じられる人もいらっしゃるでしょう。
つまり挫折や災難といった過酷な形で、経験していくことになる人も多いのです。
なぜなら間違ったエゴのプラン(幻想のエゴによる執着)と神聖なるプランは相容れないどころか、対極である傾向が強いからです。
その為に対極な傾向が強い人ほど、人生では絶えず挫折や災難・苦難といったものを通り抜けて行く事になってしまうのです。
では何故そんな尋常ではない災難を顕在意識では欲していないのに強引に押しつけてくるのでしょうか?
それは人が一般的に楽しい事やワクワクする事だと思っている(思い込んでいる)ことは、根本的に間違えている(勘違いしている)人が大多数だからです。
人が根本的に間違えている(勘違いしている)事とは、常に結果としての成果を求めている(取引をしている)からです。
それはすなわち今世においての幻想を現実として認識(大衆と共に誤認)し続けたい!という間違ったエゴの希求だからです。
強固に築き上げられた大衆と共に信じ込んでいる常識という構造物を決定的に破壊するには、人によっては一度や二度の災難などではびくともしないのです。
ですので、それらは何度も何度もあなたの常識が決定的に壊れるまでは、あなたにとっての常識などが実は幻想なのではないか?という疑いがあなたに起こるまで、あなたが絶対に認めない認めたくない存在を認めるまで、しつこく頻繫にやって来るのです。
「魂の闇夜」が終わりを迎える方法はあります…が残念ながら起こそうとして行えることではありません。
あなたのそれまでの人生で強固に構築した常識を決定的に崩壊させるのです。
大黒柱(エゴの本柱)が折れてしまえば、その偽装の家屋は倒壊するようなことです。
言うは易し行うは難しですが(笑)
あなたが3次元的世界観で大切だと思っていた(思い込んでいた)一部のものは、実は幻想のエゴによる執着であり、あなた自体の価値は、それがなくなることで少しも減るものではありません。むしろそれを手放す(ビリーフする)ことで本当の自分に気付くのです。
一人(孤独)になって初めて、一人(孤独)ではない事に気付けるのです。
②私の体験した魂の闇夜(感覚の闇夜)とは!?
私にとっては終わりのみえない途方もない日々の連続でした。
ただ残念ながら他人の苦労話というのは、他の人からみた場合「そこまで辛いことなのだろうか?」と思われてしまう傾向が強くあったりもします。
ただ経験者として、「魂の闇夜」当時の私は、具体例一つ載っていないのは大変悲しく、他の人はどうなのだろうか?と大きな疑問を抱きながら、日々を送っておりました。
もう完全に昼夜関係なく少しの時間立っている事も長時間座っている事すらままならずぐったりして、日中はソファでゴロゴロしながら人として最低限のトイレ・食事・歯磨き・お風呂(2~3日に1回頑張って)だけをどうにか振り絞った一時的な気力で必死に体を動かしていた感じでした。
寝ても一向に体力が回復しないことに生命の危機を強く感じました。
スマートフォンで例えるならば、普通の状態だと睡眠を取って体力を回復、自分の時間などでメンタル面の回復し、100%に近い充電状態で翌朝を迎えられたりもしますが、私の「魂の闇夜」中はいくら睡眠時間を取ろうとも好きだと思っていた(かつて思い込んでいた)事を行っても充電率が5%を上回る事がなかったみたいな感覚でした。
正直いつ何が終わって、いつ何が始まったのか全く解りませんでした。
この辺りでまめたろうさんと出逢えました。そこで初めてスピリチュアルという言葉を知って(笑)、ろばのせかいで「魂の闇夜」のページを読んで、その時状況を論理的に理解したのでした。
ただし「魂の闇夜から出してください」とは言わなかったです。なんとなく直感的に意味がない気が強くしたので。
正直自分自身では終わった感覚も全くわからなくて、まめたろうさんに「もう終わっているので、動けますよ」と言われ、動いてみたら普通に動けて、驚愕しました(笑)
しかし、毎日食っちゃ寝生活の繰り返しだったので、体重が感覚の闇夜前より20㎏以上増加していたので、ダイエットもウォーキングから始めました。太り過ぎると走る事すらままならない事を身をもって痛感しました。
解放されて良かったー!一つ一つの動作が取りずらいことに加えて、はけるズボンがかなり限られた状態にだったので、「早急にダイエットに取り掛からなければ!」と思ったのと同時に興味が湧いてしまったのです・・・感覚の闇夜“だけ”って身体が自由に動く状態だったらどうなのだろうか?と…何度も何度も繰り返し(笑)
身体は動いたのでダイエットは継続できたのですが、見る物全てがモノトーンに感じ、聞こえる音全てが単調に感じ、嗅覚・味覚・触覚も同様に「あれ!変だな…?」と思ってまめたろうさんに聞いたら「また感覚の闇夜ですね」と言われ数ヶ月を過ごしました。ある意味貴重な体験でした。
当時は「いつか終わるでしょう」くらいの軽い気持ちでいたので、何時の間にか終わっていました。今当時を振り返ると好奇心から状況を引き寄せてしまっただけだったので、満足したので終焉を迎えた様です。
魂の闇夜(感覚の闇夜)が、今の私にどのように活きているのか?
感覚の闇夜の終焉条件「古いエゴからの脱却」は、進歩して行くに連れて時間の経過と共に自然とエゴが機能しなくなるので、脱却の感覚を明確に知っている事は、新たにエゴが発生(できて)もエゴの解消(脱却)に大きなアドバンテージと成ります。
魂の闇夜の終焉条件の本来あるべき自分自身に成る(純粋な自分自身に戻る)ですが、これも進歩して行くに連れて時間の経過と共に自然と本来あるべき自分自身成る(純粋な自分自身に戻る)時間帯が徐々に増加し、常にありのままの自分自身で堂々と安心して居られるようになるので、本来の自分自身に成る(純粋な自分自身)を一時的とはいえ明確に知っているので、過程の軸を見失いませんし、目指すべきゴールも解り易いので大いに有効であると言えるでしょう。
一般的に大人の多くは、多面性のある顔をそれぞれ器用に使い分け、みせています。人生において、時間と経験から形成されたされた多面性のある顔が、段々となくなっていくこともまた進歩の1つでしょう。
絶賛「魂の闇夜」真只中の人へ今の私ができること
先ずは「魂の闇夜」中に沢山出るバグとエラーの解決です。
私の場合は、浴槽に温かいお湯を張り、入ってもシャワーを高温で浴びても冷水に感じてしまっていたのですが、それは本来肉体内にあるべきエネルギー体が、肉体から3~40㎝くらい上に出てしまっていたのです。
なんとか頑張って入浴する前の脱衣場で、一生懸命に服を全て脱ぎきっても「もう1枚脱ぎたい感」が強かったり(脱皮したいような感覚に陥ったり)しましたが、それは当時の私では意図しては脱げない皮でした。
また、他にもチャクラの全体のバランスがしょっちゅう悪くなったり、第六チャクラ(サードアイチャクラ)が開きっぱなしの状態に陥ったり、沢山のサイキックアタックを受けてしまったり、といろいろなことがありました。
結果から先に申し上げておくと、私の場合、解決して頂いた翌週にはもう次のなにかしらの問題が多発していた感覚がありましたので、キリがないと言えばキリがないのですが、解決せずにそのまま放置し続けた状態よりは、全然楽でした。(個人の感想です)
辛い時期に無理までしてあまりオススメはしませんが、「エゴの解消」を促進させて時短をさせることでしょう。確信に触れられるとかなりお辛いと思いますので、確信から遠い(どっちでも良い)事から少しずつ長期的にアプローチさせて頂いた方が良いかと思います。
個人的には「時短は」自然な流れに任せるのが最高最善だと思いますが、何十年と「魂の闇夜」を行っていらっしゃる人もいるので、同じところに長い期間居る(滞在し続けてしまっている)ことが苦痛であれば、少しずつでも前進させた方が良い場合もあります。
「エゴ」「エゴ」うるさいですか?すみません。
「エゴ」の解消ってかなり重要事項なのですが、しつこく・くどくど言い続けても一向に進まない(進ませたくない)人って多いのです。
まさにそれが私でした(笑)
そして「エゴ」「エゴ」と連呼すると、その発信を観た人は、本能的に逃げたくなる(避けたくなる)のです。
だから、人気を最優先に取りに行きたい人などは、営業戦略として、敢えて重要な「エゴ」の解消の発信は避ける傾向にあるのです。
数字(利益)を求めるなら当然のことですので、発信者の人に悪意は全くありませんし、それでもなお「エゴ」の解消を行おうという気概が当事者にないと、なかなか顕著な進歩は難しいのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。